「生命即神」
神とは即ち命である。とても明快な答え。
私の中にも神がいて
他者の中にも神がいて
動物の中にも、植物の中にも神がいる。
紙やペンなどの物質的な物も、もとは命あるものを材料に姿を変えたもの。つまり神さまから生まれたもの。
全てのものに、神を見出す練習。
人にも物にも、自分に喜びを与える経験にも、苦しみを与える経験にも。
それがイーシュワラプラニダーナ。
ヨガは神と自分とを繋げること。
でもそれは単なるスピリチュアル的な話ではない。
自分の体をテキストとし、自分の生命、即ち神が輝く行いが出来ているかを見極めること。自分の内なる神、即ち生命を学ぶこと。
その行いとは、ヨガのポーズを指すのではない。
食事は?睡眠は?お掃除は?歩き方は?言葉使いは?思考は?、、、etc
それらを生命が輝くように行えているのか?
その観察の中で見出した氣づきは、自分を助ける智慧となる。
関わりの中で生きている私たち人間は、必ず誰かの力を借りて生きているし、他の命を頂きながら生きていること。
そう考えると、自分の力で生きているなんて奢りは無くなり、謙虚になる。感謝する。
ひとりぼっちだなんて、寂しいことも考えくなる。
他に助けられ、生かされているという感覚は、私に安心感を与える。
自ずと他に見いだす神に、お返しをしようという氣持ちになる。
龍村先生から教わったヨガは、生き方そのものだ。
そして何よりも学びになったのは、龍村先生の佇まいや在り方。
言葉や態度に誇張も偏りも無く、他を否定することも、何かを贔屓することも無く、常に中庸にある。
浮きも沈みもせず、常に平常心。
龍村先生はサラリとそんな生き方をされていますが、常にそう在ることは、実際にはとても難しいことだと、誰もがご存じの通り。
その在り方を側で見させて頂くことで、ヨガの真髄が、静かにされど深く、私に浸透していく時間でした。
沖正弘先生の言葉
「無理するな、無駄するな、続けよ」
「信じるな、疑うな、確かめよ」
これは、今の私のヨガプラクティスにおける指針にもなっています。
そして実技の講義中に、龍村先生から言われた、とても印象的な言葉があります。
「おまえは神か!」
もともと、沖先生のお言葉だそうです。
私がある行法を指示された時に、「これは出来ません、、、」とお伝えした時に言われた言葉です。
やってもいないのに、出来るか出来ないかわかるなんて、おまえは何でも知っている神様なのか?・・・と。
実際に勇気を出してやったら、結果出来たんですね。
そういうことですよね、人生って。
自分を疑わず、とにかく確かめようと思った瞬間でした。
龍村先生から頂いた教えは、現在私がお伝えしているヨガの、主軸となっております。
自分の中でふわっとした伝え方しか出来なかったものが、この学びにより、より明確にわかりやすい言葉で、表現できるようになりました。
この教えを龍村先生から学べたことは、私にとってとても幸運なことでした。
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